岡豊城望櫓

  menuに戻る土佐紹介に戻る高知の観光地に戻る

  岡豊城望櫓(おこうじょうのぞみやぐら)


1 2


 岡豊城はどのような、お城?いや櫓だったのだろう中世の岡豊城は二層三層の造りで質素なものであったに違いない。
長宗我部の家紋はカタバミをデザイン化したもので“七つ片喰”または“丸に覗き片喰七曜”と言う名前がついている。
私はこんまい頃このカタバミでよく遊んだ正しい名前が分からずスイスイとかスイッチョンと呼んでいた、カタバミの根元のところからプッチと千切って葉っぱと軸の付け根の部分をポッキとまでは、いかないが半分程折って茎の外側の部分だけを除いてやると、中から白いひも状の繊維が現れる。
 子供の頃、友達と二人でこのひも繊維の端を持って、つまり葉っぱになるほうを下にしてクルクル廻しながら、エイ!とばかりにお互いのひも繊維をからめる、
そしてスイーッと引っ張り葉っぱの部分で絡み合ったところで力任せに引っ張り、チョンと切れどちらか一方の葉っぱがのこった方が勝ちだ。
 だからスイッチョンなのである、説明が長くなってしまった。この軸を強くするためか、滑りをよくするためかこの軸をベロベロと舐める!スッパイ
 カタバミの学名はオキザリスこれはギリシャ語で“スッパイ”の意味で、ただスイッチョン勝負でベロベロ舐める意味はまったくない様に思える。
 カタバミのデザインは長宗我部氏のほか新田氏や姫路藩主の酒井家などもこのカタバミ家紋を使っている。
その昔、長宗我部さんもスイッチョン遊びをしていたのだろうか?
考えるだけでも楽しくなってしまう、元親さんはこのカタバミをぐるぐる回しながら望櫓から四国平定の野望を夢見ていたに違いない。
3 4
5 6
7

  menuに戻る土佐紹介に戻る高知の観光地に戻る